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  オポチョニストとは

 オポチョニストというのは「日和見主義者」「ご都合主義者」という意味である。
 日和見主義者というのは、定まった考えによるのではなく形勢が有利な方につくことを信条としている人のこと。
 ご都合主義者というのは、自分の利益のために都合のいい方を利用すること、つまり都合のいい方につくことを信条としている人のこと。
 こんな人、良くいるよね。
 世間一般では、信念のない人間として蔑まされる。「あいつは日和見主義者だからいつ裏切るか分からないよ」とかね・・・・。

 なぜこんな言葉をトピックスで取り上げたのかというと、話題に事欠かない財務官僚にまつわることだからだ。
   官僚の権力と支配の
     構造がわかる本

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   財務官僚の異常

  財務省は事務方トップの事務次官と実地庁トップの国税庁長官がいずれも空席というまさに前代未聞の異常事態である。
 財務官僚がこれほど話題に上がっているのも珍しい。
 麻生財務大臣は別格として、次々と明らかになる財務官僚のありように接すると開いた口がふさがらない。国民の多くの想いではなかろうか。
 ツートップ不在で出てきた矢野官房長の対応もテレビで取り上げられているが、似たり寄ったりだ。

 「官僚の中の官僚」、「われら居並ぶ山を見下ろす富士の山」と言って憚らないのが財務官僚である。
 なぜここまで傲慢なのか。それは明治政府以後の長い歴史が創り出してきた背景がある。

   伊藤教授の分析

 北海道大学教授であった伊藤大一氏は著書「現代日本官僚制の分析」において大蔵官僚の行動様式を分析している。
 私はこの書物はたぐいまれな名著と評価している。興味のある人はぜひ読んでほしいと思う。

 大蔵官僚であった迫水久常は、大蔵官僚の特質を「計画的オポチョニスト」と表明した。これを受ける形で伊藤氏は大蔵官僚が権力を握っていく過程を次のように分析する。
 政治の過程としての予算編成過程は戦前から高度の持続性があるとみる。
 戦前、大蔵官僚は予算編成で政治家よりも政治的権力を持つ存在となった。
 それは大蔵官僚の行動様式によって形成された。
 その実態は、軍部の寄生的利用だとする。当時、軍部は統帥権を基盤として合法的正当性を超越する存在であったが、大蔵官僚は政策決定の主導権を握るためにその権力的基礎を軍部への依存によったとみる。
 軍事予算に対する特恵措置と引き換えに、大蔵官僚は軍部の強大な政治的発言力を自己の権力的基礎に資本化していったと分析する。
 単に利用したにとどまらない。軍部の弱点である財政面でその弱点を予算配分で補強し、軍部の政治的発言力を高めるのに手を貸した。
 それは、日本全体の行く末など関係なく、軍部に肩入れすることにより、自らの権力的地位を強化しうると算盤をはじいたからだと分析する。
 そして、ここには大蔵官僚である迫水久常が大蔵官僚を指していった「計画的オポチョニスト」としての一面が顔をのぞかせているとした。

   さて現状は

 大蔵官僚から財務官僚になっても、彼らにとって政治的権力を握り続けることは不変の目標である。
 ところが、安倍さんは財務官僚を遠ざけ、経産官僚を重用し、政治的権力や政策決定は完全に経産官僚に移った。

 アベノミクスをぶち上げた安倍さんは一強で形勢有利なのだから、アベノミクスを持ち上げて利用するのが日和見主義の財務官僚の持ち身であったはずだが、財政再建に引っ張られてしまった。消費税増税でアベノミクスの足を引っ張ったも同然である。
 安倍さんはいよいよ財務官僚を遠ざける。この事態を打開せんと、佐川前国税庁長官は安倍さんにつく行動様式をとったといえよう。

 結局、佐川氏の失敗は大蔵官僚の遺伝子となっている「計画的オポチョニスト」体質から生じたわけだ。

   危険要素

 セクハラも加わって、財務官僚の政治的権力は極めて弱くなっている。だが、彼らがそれを従容と受け入れるわけはない。非常に危険なことは、戦前と同じように、軍事予算を彼らが利用して政策決定の主導権や政治的権力を巻き返そうと動き出すことである。
 自衛隊員が、戦前と同じような動きを行った。
 自らの利益しか考えず、自らオポチョニストと称しているものたちに、日本の将来を任せるととんでもないことになる。
 現行憲法に沿った政治を行う政権の発足を国民は真剣に模索しなければならない。