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  皆さんは花火大会と聞いて胸がドキドキしますか?                              

 ここ埼玉だと熊谷花火大会、あげお花火大会、こうのす花火大会が打ち上げ数1万発を超す大きな花火大会ですね。(残念ながらまだどれも見に行けていませんが・・・行きたいです)
 
 私は、隅田川花火大会と東京湾大華火祭には毎年行ってドキドキしています。

 花火大会に行くと言うと、屋台の焼きそばやビールを片手に見にいくというのが普通だと思いますが、私は朝5時から東京の日の出桟橋に行き丸玉屋小勝煙火店の花火師の方々と台船(駆動機の着いていない平らな作業船)に乗り、花火の積み込みから設置、片づけまでやっています。

<花火の積み込み終了=台船のうえで記念写真>
前列右から3人目が筆者-2010.7.31 hanabi.jpg

  丸玉屋小勝煙火店とは東京都府中市に本社を構えている老舗の花火屋さんです。
(花火が上がった時に観客の人達が「たまや~」と言っているあの花火屋さんです) 

 丸玉屋小勝煙火店と私の出会いですが、小中学校の先輩が一緒に台船にのらないかと声をかけてきてくれたのがきっかけでした。それ以来、毎年参加させてもらっています。
 
 隅田川花火大会の場合、日の出桟橋で火薬と資材を台船に積んだ後、第一会場もしくは第二会場まで専用の船で台船をけん引してもらいます。(日の出桟橋から打ち上げ会場まで約1時間のクルージングです)その後、打ち上げ用の台船に筒や火薬をセットして本番を待ちます。
 本番の打ち上げ時には、間近に花火を見る事ができ(台船に残る事はできないので移動用の船の上から見ます)その迫力と感動は言葉に表せないくらいです。
 他にも隅田川花火大会には感動があります。それは、打ち上げが終了した後の人の温かさです。まず、墨田川沿いのビルから「ありがとう」「来年もよろしく」「ホントに最高だった」「たまや~」というお礼の言葉、川幅も狭い事もあり、生の肉声が直接届き感動します。
 その後、台船が日の出桟橋に帰る途中、隅田川に架かる各橋から台船めがけて「ありがとう」という言葉と共に、縄に縛られた飲み物や手作りの漬物、おにぎり、唐揚げ等が下ろされてきます。この人情味あふれる下町の人達は本当に最高です。
 
 人情味でいえば、宮澤税務会計事務所の顧問先も負けていません。独身一人暮らしの自分の体を気づかって、おふくろの味を持たせてくれたり、お嫁さんの事を自分の子供のように心配してくれたり・・・などなど
 ついつい甘えてしまっている自分ですが、これからも皆さんへの感謝の気持ちを忘れず、仕事や私生活面を充実させていきたいと思います ( フッくん )。

<豆知識> 隅田川花火大会の歴史
 
 歴史ある隅田川の花火は全国に知れ渡っています。隅田川で初めて花火が打ち上げられたのは、徳川八代将軍吉宗の御世で、享保18年(1733年)と言います。飢饉や悪病の流行といった暗い世相を打開しようと、水神様の慰霊祭を行なって、両国橋付近で花火を打ち上げたのが始まりとのことです。
 今に伝わる「隅田川花火大会」の名称は昭和53年からと意外と新しい名称なのです。では、その前の名称はと言うと「両国の川開き」が呼び名として昭和36年まで使用され翌年(昭和37年)河川の汚れと交通事情の悪化に伴い開催されなくなってしまいました。
 時が経ち昭和53年4月28日、台東区、墨田区、中央区、江東区の4区がまとまってようやく「隅田川花火大全実行委員会」を発足させました。 この結果、花火大会は同年7月20日午後7時30分から、会場は第1会場が言問橋と白髭橋(現在は言問橋と桜橋)の間、第2会場が厩橋と駒形橋の間、総費用は5900万円とするなどの細目が決定し、第1会場の打ち上げ一切を丸玉屋が、第2会場は細谷火工が担当することになりました。
 当日は快晴、絶好の花火日和になり、約1時間でスターマインを中心として1万5000発の花火を打ち上げました。 花火の内容は消防法により、第1会場は3号玉まで、第2会場は2.5号玉以下と決められ、小型の花火でいかに効果を出していくかが腕の見せ所で、 間断なく打ち上げる組み合わせの演出で効果をあげています。種類も「菊」や「牡丹」などに加えて、新技術による光の強い花火をアレンジした新形式の花火を多く使用され、毎年7月の最終土曜日に「隅田川花火大会」として続けられています。昭和55年からは第1会場に限って4号玉が許可され、一層、内容が充実し、また、その翌年からは第1会場で全国から選抜された花火師達によるコンクールも同時に行われることになりました。